2011年7月15日金曜日

邂逅 その3 〜「No Warning」/バッハ・リヴォリューション

前回に引き続き、知る人ぞ知る「バッハ・リヴォリューション」のアルバム。



「No Warning」/バッハ・リヴォリューション

オリジナルアルバム 1979年発表。
2000年 CDにて再版。(現在は絶版)

デビュー作「我が心いまだ安らかならず」以降、バッハ・リヴォリューション名義にて映画やドキュメンタリーのサウンドトラック、またメンバー個々でのオーディオ企画ユニットなどの活動を精力的に行っていた中での待望のオリジナルアルバム第二作目。しかしこのアルバムを最後にバッハ・リヴォリューションは活動休止となる。アルバムメンバーも前作に参加していた鈴川元昭が脱退。サポートメンバーとして、平沢進(後のP-Modelメンバー)、小久保隆(アルバム参加当時は現役大学生。自らKokuboxというシンセサイザーシステムを開発)を迎える事となる。曲風も前作の実験音楽的要素から、調性のはっきりしたよりPopな小品でまとめられている。メンバーの変更も勿論であるが、前作と本作との間に様々なメディアと共作を行って来た事もこうした作風の変化に現れたのかもしれない。しかし前作同様、モノフォニックシンセサイザーの多重録音と言うスタイルを崩す事なく、現在で言うアンビエント的な面や既にこのアルバムでテクノ的なアプローチが見られるなど、より多様性に富んだ聞き応えのあるアルバムとなっている。もしこのまま活動していたら、いわゆるヒーリングやテクノポップというカテゴリだけでは語れない、独創性に富んだサウンドが聞けたのではないかと思うと、惜しいの一言である。しかし彼らが考える以上のスピードで瞬く間にシンセサイザーとそれを取り巻く環境は激変してしまった。その象徴がYMOのデビュー=世界的ヒット、ひいてはテクノポップの誕生へと至る。日本のシンセサイザーアーティストの先駆けとなった彼らを、今でこそ再評価したいと思うのは私だけであろうか?


バッハ・リヴォリューションとの出会いは前作「我が心いまだ安らかならず」でこのアルバムも発売当時に購入して大変気に入っていたアルバムです。丁度自宅でローランドのパッチベイ型モノフォニックシンセサイザー・System100とストリングキーボード(ストリングス系と何故かオルガン系の音のみ出るキーボード。Solinaが有名)中古のTEAC 3340S(当時民生機で唯一多重録音の出来た機種)による音楽制作を始めた頃だったので、テクニック的に非常に学ぶところも沢山ありました。故に思い出深い…という事なのですが。因みに当時はまだ高校生。こんな頃から既に引きこもりだったのね、私。当時の作品はYMOのコピー以外は聴けたモノじゃないですが、情熱だけは人一倍どころか100倍ぐらいでした。勿論MIDIもない頃なので全て手弾き。シーケンサーも高くて買えなかった時代です。その後MIDIも規格化され、パソコンによる打ち込みへの対応、更に安価なサンプラーの発売など、技術が進歩するにつれ、我が家の音楽制作システムも進歩しました。とは言え、四畳半程のスペース一杯の機材と同じ、もしくはそれ以上の機能がパソコン上で再現される様になり、作曲ソフトもかなり進化して安価になり、誰でも買った日から作曲できると言う、私が音楽制作を始めた頃からは想像もつかない程のスピードで一般に普及しています。逆に言えば、音楽を作る環境が簡単に手に入る分、より作曲する個人の個性がより強く求められます。でなければ、誰が作っても同じ様なものしか出来ません。奇しくもバッハ・リヴォリューションが「音楽は感情の具体化」といった事を発言していますが、私が音楽制作するスタンスも全く同じです。様は「素っ裸で人前に立つ」のと同じです。それぐらいの覚悟を持って、自分の身一つで勝負するのが私の音楽です。今は当時のシステムが古くなり、リファインしなければ使えませんが、何とかもう一度この自宅スタジオで音楽制作を再開したいですね。今の自分でなければ出来ない作品がきっと出来ると、心密かにワクワクしています。

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