2011年8月28日日曜日
おーう!やっちまったなぁ!!
昨日の「日本ど真ん中まつり」会場に向かう途中、
突然の雨で濡れた歩道で、荷物ごと見事に滑って転倒。
あっという間に左足首が「膝」になっちゃいました。
しかしここまで来て撤退は悔しいので、そのまま着替えて
出陣は最後まで果たしました。
しかし終わって着替える頃には痛みで歩けない程に。
荷物もあるので、仕方なくタクシーを拾い、
自宅に向かう途中で
時間外診療で外科とレントゲンの対応ができる病院を検索。
名古屋市立東部医療センター(旧:東市民病院)が近いので
連絡したところ、看てくれるとの事。
荷物を置いて、そのままタクシーで向かいました。
運良くすぐに看てもらい、レントゲンの結果、骨折は無し。
湿布とテーピングで応急趣致してもらい、
改めて整形外科での診察を受けるように言われました。
ひとまず安心です。痛み止めと胃の薬もらって、やっぱりタクシーで帰宅。
食欲はありましたが、痛みでシャワーも浴びずにそのまま寝てしまいました。
今朝になって、痛みはかなり引きました。
昨日の汗だくのままは気持ち悪いので、まずはシャワー。
やっとひとごこちつきました。
歩道のオシャレなカラー舗装は、ゴム底靴が滑りやすい。
危険だからやめて欲しい。マジで。
ラベル: イベント, コスプレ, 手作り甲冑/MY甲冑
2011年8月25日木曜日
完成!
2011年8月16日火曜日
2011年8月11日木曜日
【出陣予定】にっぽんど真ん中祭り
8/27〜28に、名古屋市内で開催される「にっぽんど真ん中祭り」に
前田利家顕彰隊・ONDO舞の応援で、甲冑にて先達を勤めます。
ただし私は27日のみの出陣です。あしからず。
28日は、むふふなイベントに参加なんで( ̄▽ ̄)
ラベル: イベント, 手作り甲冑/MY甲冑
2011年8月7日日曜日
世界コスプレサミット2011 in セントレア&大須コスプレパレード
今年も行って参りました、唯一のセントレアでのコスプレイベント。
うっかり昼寝落ちしたおかげで出遅れ。
スカイデッキに出られたのは、17時頃でした。
私は兼ねてより温存(?)して、万を時して着用したコスプレ衣装は
これだ!



まあ私は置いといて、各国の代表はさすがに美形揃い。
衣装のクオリティーも段違いです。

各国代表の写真は以下でどうぞ ↓
https://picasaweb.google.com/114731122899548500689/2011In
でもって、翌日は大須コスプレパレード。
はっきり行って大後悔。GANTZスーツは夏着るもんじゃありません。
パレード中、実は意識朦朧でした。もちろん汗はダクダク通り越して
吹き出す状態。
なんとか無事大須観音に戻って来たけれど、日陰に座り込んで
しばらく動けず。
なんと!グローブの指先に汗が溜まってました!こんな過酷な衣装は初めて。
夏の野外のイベントで着るのは、もう封印です。
マジ死んじゃうよ((((;゚Д゚)))))))
でも私以外に、3人もGANTZチームがいましたよ。

玄野君とラブラブ2ショット。「玄野くんは私が守る!」

同じく、玄野くんと加藤くんと。
GANTZ大須チームは今日は4人だったけど、みんな大丈夫だったかな。
今日はかなり暑かったんで、ちょっと心配。
後は今月末に、まこ☆すたさんのロケ企画で、四日市コンビナートの
夜景を背景にカッコいい写真、いっぱい撮って来ますよ。
乞うご期待!!
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2011年7月25日月曜日
絶賛製作中!
2011年7月15日金曜日
邂逅 その3 〜「No Warning」/バッハ・リヴォリューション
前回に引き続き、知る人ぞ知る「バッハ・リヴォリューション」のアルバム。

「No Warning」/バッハ・リヴォリューション
オリジナルアルバム 1979年発表。
2000年 CDにて再版。(現在は絶版)
デビュー作「我が心いまだ安らかならず」以降、バッハ・リヴォリューション名義にて映画やドキュメンタリーのサウンドトラック、またメンバー個々でのオーディオ企画ユニットなどの活動を精力的に行っていた中での待望のオリジナルアルバム第二作目。しかしこのアルバムを最後にバッハ・リヴォリューションは活動休止となる。アルバムメンバーも前作に参加していた鈴川元昭が脱退。サポートメンバーとして、平沢進(後のP-Modelメンバー)、小久保隆(アルバム参加当時は現役大学生。自らKokuboxというシンセサイザーシステムを開発)を迎える事となる。曲風も前作の実験音楽的要素から、調性のはっきりしたよりPopな小品でまとめられている。メンバーの変更も勿論であるが、前作と本作との間に様々なメディアと共作を行って来た事もこうした作風の変化に現れたのかもしれない。しかし前作同様、モノフォニックシンセサイザーの多重録音と言うスタイルを崩す事なく、現在で言うアンビエント的な面や既にこのアルバムでテクノ的なアプローチが見られるなど、より多様性に富んだ聞き応えのあるアルバムとなっている。もしこのまま活動していたら、いわゆるヒーリングやテクノポップというカテゴリだけでは語れない、独創性に富んだサウンドが聞けたのではないかと思うと、惜しいの一言である。しかし彼らが考える以上のスピードで瞬く間にシンセサイザーとそれを取り巻く環境は激変してしまった。その象徴がYMOのデビュー=世界的ヒット、ひいてはテクノポップの誕生へと至る。日本のシンセサイザーアーティストの先駆けとなった彼らを、今でこそ再評価したいと思うのは私だけであろうか?
バッハ・リヴォリューションとの出会いは前作「我が心いまだ安らかならず」でこのアルバムも発売当時に購入して大変気に入っていたアルバムです。丁度自宅でローランドのパッチベイ型モノフォニックシンセサイザー・System100とストリングキーボード(ストリングス系と何故かオルガン系の音のみ出るキーボード。Solinaが有名)中古のTEAC 3340S(当時民生機で唯一多重録音の出来た機種)による音楽制作を始めた頃だったので、テクニック的に非常に学ぶところも沢山ありました。故に思い出深い…という事なのですが。因みに当時はまだ高校生。こんな頃から既に引きこもりだったのね、私。当時の作品はYMOのコピー以外は聴けたモノじゃないですが、情熱だけは人一倍どころか100倍ぐらいでした。勿論MIDIもない頃なので全て手弾き。シーケンサーも高くて買えなかった時代です。その後MIDIも規格化され、パソコンによる打ち込みへの対応、更に安価なサンプラーの発売など、技術が進歩するにつれ、我が家の音楽制作システムも進歩しました。とは言え、四畳半程のスペース一杯の機材と同じ、もしくはそれ以上の機能がパソコン上で再現される様になり、作曲ソフトもかなり進化して安価になり、誰でも買った日から作曲できると言う、私が音楽制作を始めた頃からは想像もつかない程のスピードで一般に普及しています。逆に言えば、音楽を作る環境が簡単に手に入る分、より作曲する個人の個性がより強く求められます。でなければ、誰が作っても同じ様なものしか出来ません。奇しくもバッハ・リヴォリューションが「音楽は感情の具体化」といった事を発言していますが、私が音楽制作するスタンスも全く同じです。様は「素っ裸で人前に立つ」のと同じです。それぐらいの覚悟を持って、自分の身一つで勝負するのが私の音楽です。今は当時のシステムが古くなり、リファインしなければ使えませんが、何とかもう一度この自宅スタジオで音楽制作を再開したいですね。今の自分でなければ出来ない作品がきっと出来ると、心密かにワクワクしています。
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邂逅 その2 〜「我が心いまだ安らかならず」 /バッハ・リヴォリューション
三枝成彰に続くのは、全くもって一部初期のコアなシンセサイザーファンのみが
知る幻のユニット。そのファーストアルバム。

「我が心いまだ安らかならず」
/バッハ・リヴォリューション
オリジナルアルバム/1976年 発表
2000年 CDにて再版(現在は絶版)
日本初のシンセサイザーオンリーのユニット。アルバムタイトルにもなっている「我が心いまだ安らかならず」がフランスISCM(現代音楽協会)の1975年の大賞を受賞した事をきっかけに、当時アルバム「月の光」で日本人で初のグラミー賞ノミネートされた冨田勲に見出され、RCAレッドシールよりこのアルバムでデビュー。受賞作1作ではアルバムには足りないため、新たに「音響詩 "大地震”」と「汝れが魂、悪夢より目醒めよ」が制作された。メンバーは田崎和隆、鈴川元昭に新たな録音の際に加わった神尾明朗の3人。
当時のシンセサイザーは殆どがモノフォニック(音が1音しか出ない)かせいぜい2ヴォイスで、このアルバムはモノフォニックと2ヴォイス音源を多重録音する事によって構成されている。近年のデジタル音源には不可能なアナログシンセの力強くある意味人間臭い音源が多重録音で重ねられる事により、より重厚で深い厚みと迫力を持って伝わってくる。現在の技術を持ってすれば、コンピュータ上で簡単に再現できる環境であるかもしれないが、当時は計り知れない時間と労力、集中力、忍耐力を要する作曲作業であった事は、かつて同じ手法で音楽制作を行っていた私にとっては想像にかたくない。今、改めて聞いてみると、自分の音楽もかなり影響を受けているとひしひしと感じる。日本のシンセサイザー音楽の黎明期を彼ら抜きで語る事は出来ない。
******
このバッハ・リヴォリューション、絶対CD化は無理だろうと思っていましたが、サウンドトラック等の作品を除くオリジナルアルバムの2枚のみCD化。
もうこれを提案した方、実現した方には足を向けてねむれません。それ程聞きたかったアルバムです。今では絶対出せないアナログシンセの野太い音がたまりません。いずれも物語り性をもった構成と丁寧に作り込まれたサウンドは今聴いても色褪せる事なく、聞くものに迫る迫力を持っています。決して調性の取れた聞きやすい曲とは言えませんが、人間の持つ心象風景を見事に表現している点は、現在のコンピュータのプリセットループデータで安直に作られる曲とは比べ物にならない説得力を持って聞くものに迫ります。1曲目の「音響詩 大地震」は先日の東日本大震災を思い起こされるリアルさを持って迫ってくる迫力も去る事ながら、発売当時、曲の後半の重低音を音飛びなく再生出来れば、そのレコードプレーヤーは合格、というオーディオチェックにも使われる程の凄い迫力です。人間の持つ哲学性と人間くささを見事に音として表現した彼らの力量には、いまでも脱帽です。
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2011年7月14日木曜日
邂逅 その1 〜「RADIATION MISSA」/三枝成彰
昔気に入っていた曲が余りにマイナー過ぎて、CD化されていない…
と言う経験は、誰しもあるかと思います。
かく言う私も十代の多感な頃に多大な影響を受けたにも関わらず
一般受けする様なアルバムでないために、CD化は無いだろうと
諦めざるを得ない作品が多々あります。
レコード盤では所持しているものの、プレーヤーが壊れて聞けないと言う
悲しい状況なのですが、それでもやっぱり今でも聞き返したいアルバムが
幾つかあります。
先日、たまたまAmazonで検索していたところ、
「こりゃ絶対CD再販は無いだろう」と思い込んでいたアルバム3枚を発見!
いずれも絶版なのでプレミア価格でしたが、これを逃したら二度と再び
巡り会えそうにないものばかりで、気づいたら3枚ともポチってました。
いずれも私が音楽制作を始める前〜制作初期の頃に非常に影響を受けた
アルバムです。
まずはその1

「RADIATION MISSA」/三枝成彰+DKW57349
1981年 作品。
1986年 CDにて再販。(現在は絶版)
作曲/三枝成章(現:成彰)
演奏メンバー:
キーボード 難波弘之(センスオブワンダー)
向谷実(カシオペア)倉田信雄(スタジオプレーヤー)
中村さとし(アレンジャー)
ドラムス 岡井大二(スタジオプレーヤー)
ボコーダー 森本恭正
三枝成彰が三枝成章名義時代に発表した斬新な切り口の「ミサ」組曲。当時第一線でハイテクニックなプレーヤーがこの曲のためだけに「DWK-57349」というユニットを組み、この難曲に挑んだ。さらにレコーディングと同内容でのライブも行われている。あえてポピュラーミュージックのプレーヤーに現代音楽を演奏させる事により、変則拍子や調性の希薄な難解な曲を力強いビートの上に、ボコーダーによる早口のラテン語が加わるという、これまでに無い斬新で挑戦的なアルバム。初期の三枝成彰氏の作曲・創造へのあくなき前衛性と現代音楽の閉塞感のジレンマが生み出した異形の音楽と言えるだろう。モノラルシンセサイザーとボコーダー、ドラムスだけというほぼ無謀とも言える構成を名うてのミュージシャンが見事にこなすチャレンジ精神には頭が下がります。
現在はオペラ作曲やクラシック音楽会のプロデュースなどスマートで叙情的な仕事ぶりからはうかがえない、正に「裏・三枝成彰」とも言える貴重なアルバム。
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当時氏は現代音楽の「既成概念を打ち壊す」と言うスタンスと、より叙情的で調性の整った音楽との狭間で揺れ動いていた時代でした。そのジレンマの結果が、この様な異形のMISSA曲を生み出したと言えます。これまでのMISSA曲のイメージを全く変える為、わざわざロックミュージシャンを選んだと言うところにも、三枝氏の反骨精神がうかがわれます。
また当時トッププレーヤーの難波弘之と向谷実を同時に迎えるという、今からすればかなり豪華なユニットが作り出すサウンドは、三枝氏の1章節ごとにビートの変わる変則ビートを見事にダイナミックに演奏しています。当時珍しいボコーダーでラテン語を早口でまくし立てるのも非常に新鮮です。当時この作品を現代音楽ではなく、単にロックテイストのアレンジに流された音楽と揶揄されて、三枝氏が大変立腹してライブ後の座談会の椅子を蹴って帰ってしまったと言う逸話にも、当時の三枝氏の「ツッパリ具合」が伺えて、私個人はとてもユニークな作品であると思っています。でも三枝氏には触られたく無い「若気の至り」な作品かも。
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2011年7月9日土曜日
2011年7月3日日曜日
鰯の頭も信心から または心のストレッチ体操
目に見えるものだけが世界の全てではない、
むしろ見えないものに守られてると考える方がうんと楽しい。
宗教や占いやスビリチュアルな話は流行っては廃れる。
もちろんそれらが悪いとは思わないし否定もしない。
私自身も風水や易を使う事がある。
でもそれで人生の全てを運命付けてしまえば、自分で自分の手足を縛ってしまう。
見えるから信じる、見えないから胡散臭い、と
決めつけるのでない。
そもそも見えないものは存在しないという考えを
肯定する根拠も否定する根拠もないのだから。
もっと心を柔軟にして、
自由で創造的な人生を送る一助となるなら
楽しいと思う事を取り入れた方が
きっと豊かでより良い日常が
送れるに違いない。
新たな人生の視点を得られた今日の出会いに感謝!!

福山ていしん先生は、
本当に不思議でチャーミングな方でした。
-- iPhoneから送信
2011年6月28日火曜日
2011年6月15日水曜日
2011年6月13日月曜日
そりゃそうだ
今日iMac使ってたら、いきなり「マウスのバッテリーが切れそう」とのメッセージが。
今までそんな経験なかったんで、一瞬なんの事かと思ったよ。
ワイヤレスマウスだもん、そりゃそうだ。
因みに単三電池2本で動きます。
ちょうど(?)テレビのリモコンの電池もなくなりそうなので
4本パック余りなく使いきれるな。
しかし電池がなくなる時って、何で重なるんだろう?
まさか私が寝てる間に、iMacとテレビが相談して示し合わせてる訳でもあるまいし。
そういやプリンタのマゼンタのインクも無くなりそう。
プリンタまで秘密談合に参加してるのか?(苦笑)
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2011年6月10日金曜日
どたわけ!!
「どたわけ」とは名古屋弁で「超マヌケ」とか「とんでもないアホ」といういみですが、
はっきり言って
NIFTYどたわけ!!
事の起こりは、母が使っていたNIFTYのアカウントを母自身が解約しようと
NIFTYに連絡した事。
担当は解約を了解した後、何故かNTTとOCNに連絡する様に指示。
何だかおかしいと思いつつ、NTTとOCNに連絡したらしい。
外出から戻った私に「何か21日に工事に来るって言うけど、何か外すの?」と、母。そりゃおかしい。何か間違ってる!
とにかくすぐにNTTに連絡して加入電話と光回線は解約どころか無いと困るんで現状のままで、と訂正電話を入れたので事なきを得ましたが
もう少しで光回線どころか加入電話まで根こそぎ持ってかれるところでした。
そもそもNIFTYの担当が、NIFTYのアカウントのみを解約したいだけなのに
何をお勘違いしたのかNTTの回線ごと解約と勝手に判断してしまい、
母もおかしいと思いつつ、そんな指示出されたら取り敢えずNTTとOCNに
連絡するしかないし。
ご丁寧にもNIFTYの担当は、回線解除の電話番号を伝えたらしいので
あれよあれよと全て解約の流れに、まんまと乗せられたらしい。
だいたい最初に「アカウントのみの解約」か「回線ごとの解約」か
まず確認してくれれば、こんな間違いは起きなかったはず。
わざとではないとしても、あまりに不親切すぎる。
掛けてきた相手が高齢者だからって、ワザとミスリードしたんじゃないかと
悪意さえ感じざるを得ない。
高齢者だからこそ、よく確認するのがカスタマーサービスじゃないの。
とにかく結論は
NIFTYはどたわけ!!ヽ(`Д´)ノ
二度と使うか。皆さんも解約の際はご注意を。
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2011年6月9日木曜日
見積り
年始から悩まされ続けてきた右上奥歯。1ヶ月前に神経を取った時に亀裂が入っているのが判明して、
取り敢えず樹脂を流したりして温存して来ました。
が、先週余りの痛さで緊急で見てもらったところ、既に亀裂ではなく隙間になるほど広がってしまいました。
で、結局歯を半分に割って半分だけ抜くという事になり、昨日抜いてもらいました。
見えるところは割れていても、根っこはしっかりしてたのでこれまた取るのが大変。
でも無事半分にする事に成功しました。
麻酔が効いているから全く痛くは無いんだけど、根元がしっかりしてるせいかこじるので、
その音が頭蓋骨に「ミシミシ」響いて気持ち悪かった。
で、前回神経取った時と同じく、まだ2時間ぐらいは麻酔きいてますよ、とのことでしたが
今回も前回も措置が終わった頃には既に麻酔が切れてきていました。
今回は痛くなるといけないと言うことで、措置終了後麻酔がまだ効いた状態で痛み止めを飲みましたが、
麻酔が切れ始めたらズキズキ…。
2時間はモノを食べないようにと言われましたが、痛みで食欲無し。
おかげで夕飯は、お茶漬けとサラダと漬物という超ヘルシーメニューになってしまいました。
ところで措置後も2時間は麻酔が効いていると言われて、
2度ともすぐに切れてしまったのは何故かなぁ…とつらつら考えるに
先生、私の体重、軽めに見積もってません?
麻酔は確か体重に比例した量を使うと思うので。でもいちいち体重聞くわけじゃないし。
そもそも私はどうも麻酔が効きにくい体質みたいだし。
先生、そんなところで気を遣わなくて
麻酔は「見た目通り盛」
でお願いします。
と言うか、早く痩せろ!だな。(汗)
細く見えたなら、それはそれで密かに嬉しいが。
とは言え、当面は麻酔使う治療は無いけど。
因みに半分になった歯は、樹脂で元の形に成形します。
暫くは歯医者通いが続きます。やれやれ┐(´_`)┌
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2011年5月31日火曜日
【MY甲冑出陣記】中津城たにし祭り



商店街や寺町などを一時間半程歩いて
中津城に到着。
城に立てこもる見方を救援に来たという設定で、お互い名乗りを上げ、鉄砲隊が儀礼の砲を打ってお互いを讃え合う場面は、正直参加している自分もグッときました。
長篠鉄砲隊の皆さんも迫力タップリの火縄銃実演。
お昼からは甲冑コンテストや絶叫コンテストなどの舞台イベントで
盛り上がりました。

後ろ姿も決まってますぞ!!
この絶叫コンテストのネタにもなった鳥居強右衛門(とりいすねえもん)は、
味方の不利を後方の本隊に伝えるため敵をかいくぐって救援の伝令を伝えました。
ところが味方の隊に引き返す途中で敵方に捕まり散々拷問を受けた上に
張り付けにされても、最後まで援軍が来る事を白状しなかった逸話で有名です。
その功績にあやかって、写真にあるような旗印にもなっている程です。
今回は東北の皆さんに向けての応援メッセージを参加者それぞれの思いで絶叫しました。
楽しい時間は短いもので、
お祭りは大盛況のうちにお開きになりました。
少しはお祭りを盛り上げるお手伝いが出来たのかな?
お役に立てれたのであれば、
これに勝る光栄はありません。
また来年も是非参加したいです。
お祭りでお会いした皆さん、
名古屋から来た甲冑バカを暖かく迎えて下さってありがとう。
感謝の一言です。
来年のたにし祭りにも是非参加するぞ!
その他の写真はPhotoGalleryで見てね♡
↓お祭りの内容は以下でもどうぞ
大分合同新聞
中津市ホームページ
(翌日の「熊本城攻め」編に続く)
ラベル: イベント, 手作り甲冑/MY甲冑
2011年5月25日水曜日
九州遠征の写真UPしました
取り敢えず画像のみUPしました。
TOPのPhotoGalleryからお入りください。
Blogは近日UPします。
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ラベル: イベント, 手作り甲冑/MY甲冑
2011年5月18日水曜日
珍味
先日来、右上の一番奥の亀裂の入った歯が時々痛んでましたが、特に化膿や腫れはないので、暫く現状維持という事で様子を見ていました。
ただ時々口の中がケミカルチックな変な味になるのと、その発生源がどうもこの亀裂入りの歯の様らしいのが気になっていました。
このところ疲れてベットに横になるとうっかり寝落ちして、寝る時用のマウスピース入れ忘れが3日続いた昨日の午後、尋常ならざる痛みで冷や汗出るわ仕事でミスするわで踏んだり蹴ったり。
これはまずかろうと、かかりつけの歯医者さんに連絡して急遽診てもらう事に。
結局これだけ痛いとなると現状維持は難しいという結論に至り、神経を抜く事に。
先生の腕がいいので、痛みも殆どなく神経を抜いて借り埋めして今日はおしまい。
麻酔もすぐ切れましたが(普通は3時間持つらしいですが私は麻酔が効きにくい体質なんで)痛みはとりあえず治まりました。
ただ一つ、治療の途中で気付いた事が…
神経を抜く時、取るというより穿るという感じだったのですが、その時「あのケミカルチックな変な味」が?!
そこで先生が一言。
「神経が溶けてるねぇ」
って、変な味の正体は「神経」??!
神経なんて初めて食べた。それも生。
はっきり言って、
不味い!!
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