8/5の「世界コスプレサミット」関連イベントで、セントレアがコスプレ開放されます。
それに合わせた小道具の製作が佳境に入りました!
造型作業もほぼ終わり、表面処理して後は塗装です。
さて、何だかわかったかな?
(オリジナルデザインに手を加えて、一部勝手にアレンジしてます)
-- Send from iPad
2011年7月25日月曜日
絶賛製作中!
2011年7月15日金曜日
邂逅 その3 〜「No Warning」/バッハ・リヴォリューション
前回に引き続き、知る人ぞ知る「バッハ・リヴォリューション」のアルバム。
「No Warning」/バッハ・リヴォリューション
オリジナルアルバム 1979年発表。
2000年 CDにて再版。(現在は絶版)
デビュー作「我が心いまだ安らかならず」以降、バッハ・リヴォリューション名義にて映画やドキュメンタリーのサウンドトラック、またメンバー個々でのオーディオ企画ユニットなどの活動を精力的に行っていた中での待望のオリジナルアルバム第二作目。しかしこのアルバムを最後にバッハ・リヴォリューションは活動休止となる。アルバムメンバーも前作に参加していた鈴川元昭が脱退。サポートメンバーとして、平沢進(後のP-Modelメンバー)、小久保隆(アルバム参加当時は現役大学生。自らKokuboxというシンセサイザーシステムを開発)を迎える事となる。曲風も前作の実験音楽的要素から、調性のはっきりしたよりPopな小品でまとめられている。メンバーの変更も勿論であるが、前作と本作との間に様々なメディアと共作を行って来た事もこうした作風の変化に現れたのかもしれない。しかし前作同様、モノフォニックシンセサイザーの多重録音と言うスタイルを崩す事なく、現在で言うアンビエント的な面や既にこのアルバムでテクノ的なアプローチが見られるなど、より多様性に富んだ聞き応えのあるアルバムとなっている。もしこのまま活動していたら、いわゆるヒーリングやテクノポップというカテゴリだけでは語れない、独創性に富んだサウンドが聞けたのではないかと思うと、惜しいの一言である。しかし彼らが考える以上のスピードで瞬く間にシンセサイザーとそれを取り巻く環境は激変してしまった。その象徴がYMOのデビュー=世界的ヒット、ひいてはテクノポップの誕生へと至る。日本のシンセサイザーアーティストの先駆けとなった彼らを、今でこそ再評価したいと思うのは私だけであろうか?
バッハ・リヴォリューションとの出会いは前作「我が心いまだ安らかならず」でこのアルバムも発売当時に購入して大変気に入っていたアルバムです。丁度自宅でローランドのパッチベイ型モノフォニックシンセサイザー・System100とストリングキーボード(ストリングス系と何故かオルガン系の音のみ出るキーボード。Solinaが有名)中古のTEAC 3340S(当時民生機で唯一多重録音の出来た機種)による音楽制作を始めた頃だったので、テクニック的に非常に学ぶところも沢山ありました。故に思い出深い…という事なのですが。因みに当時はまだ高校生。こんな頃から既に引きこもりだったのね、私。当時の作品はYMOのコピー以外は聴けたモノじゃないですが、情熱だけは人一倍どころか100倍ぐらいでした。勿論MIDIもない頃なので全て手弾き。シーケンサーも高くて買えなかった時代です。その後MIDIも規格化され、パソコンによる打ち込みへの対応、更に安価なサンプラーの発売など、技術が進歩するにつれ、我が家の音楽制作システムも進歩しました。とは言え、四畳半程のスペース一杯の機材と同じ、もしくはそれ以上の機能がパソコン上で再現される様になり、作曲ソフトもかなり進化して安価になり、誰でも買った日から作曲できると言う、私が音楽制作を始めた頃からは想像もつかない程のスピードで一般に普及しています。逆に言えば、音楽を作る環境が簡単に手に入る分、より作曲する個人の個性がより強く求められます。でなければ、誰が作っても同じ様なものしか出来ません。奇しくもバッハ・リヴォリューションが「音楽は感情の具体化」といった事を発言していますが、私が音楽制作するスタンスも全く同じです。様は「素っ裸で人前に立つ」のと同じです。それぐらいの覚悟を持って、自分の身一つで勝負するのが私の音楽です。今は当時のシステムが古くなり、リファインしなければ使えませんが、何とかもう一度この自宅スタジオで音楽制作を再開したいですね。今の自分でなければ出来ない作品がきっと出来ると、心密かにワクワクしています。
-- Send from iPad
邂逅 その2 〜「我が心いまだ安らかならず」 /バッハ・リヴォリューション
三枝成彰に続くのは、全くもって一部初期のコアなシンセサイザーファンのみが
知る幻のユニット。そのファーストアルバム。
「我が心いまだ安らかならず」
/バッハ・リヴォリューション
オリジナルアルバム/1976年 発表
2000年 CDにて再版(現在は絶版)
日本初のシンセサイザーオンリーのユニット。アルバムタイトルにもなっている「我が心いまだ安らかならず」がフランスISCM(現代音楽協会)の1975年の大賞を受賞した事をきっかけに、当時アルバム「月の光」で日本人で初のグラミー賞ノミネートされた冨田勲に見出され、RCAレッドシールよりこのアルバムでデビュー。受賞作1作ではアルバムには足りないため、新たに「音響詩 "大地震”」と「汝れが魂、悪夢より目醒めよ」が制作された。メンバーは田崎和隆、鈴川元昭に新たな録音の際に加わった神尾明朗の3人。
当時のシンセサイザーは殆どがモノフォニック(音が1音しか出ない)かせいぜい2ヴォイスで、このアルバムはモノフォニックと2ヴォイス音源を多重録音する事によって構成されている。近年のデジタル音源には不可能なアナログシンセの力強くある意味人間臭い音源が多重録音で重ねられる事により、より重厚で深い厚みと迫力を持って伝わってくる。現在の技術を持ってすれば、コンピュータ上で簡単に再現できる環境であるかもしれないが、当時は計り知れない時間と労力、集中力、忍耐力を要する作曲作業であった事は、かつて同じ手法で音楽制作を行っていた私にとっては想像にかたくない。今、改めて聞いてみると、自分の音楽もかなり影響を受けているとひしひしと感じる。日本のシンセサイザー音楽の黎明期を彼ら抜きで語る事は出来ない。
******
このバッハ・リヴォリューション、絶対CD化は無理だろうと思っていましたが、サウンドトラック等の作品を除くオリジナルアルバムの2枚のみCD化。
もうこれを提案した方、実現した方には足を向けてねむれません。それ程聞きたかったアルバムです。今では絶対出せないアナログシンセの野太い音がたまりません。いずれも物語り性をもった構成と丁寧に作り込まれたサウンドは今聴いても色褪せる事なく、聞くものに迫る迫力を持っています。決して調性の取れた聞きやすい曲とは言えませんが、人間の持つ心象風景を見事に表現している点は、現在のコンピュータのプリセットループデータで安直に作られる曲とは比べ物にならない説得力を持って聞くものに迫ります。1曲目の「音響詩 大地震」は先日の東日本大震災を思い起こされるリアルさを持って迫ってくる迫力も去る事ながら、発売当時、曲の後半の重低音を音飛びなく再生出来れば、そのレコードプレーヤーは合格、というオーディオチェックにも使われる程の凄い迫力です。人間の持つ哲学性と人間くささを見事に音として表現した彼らの力量には、いまでも脱帽です。
-- Send from iPad
2011年7月14日木曜日
邂逅 その1 〜「RADIATION MISSA」/三枝成彰
昔気に入っていた曲が余りにマイナー過ぎて、CD化されていない…
と言う経験は、誰しもあるかと思います。
かく言う私も十代の多感な頃に多大な影響を受けたにも関わらず
一般受けする様なアルバムでないために、CD化は無いだろうと
諦めざるを得ない作品が多々あります。
レコード盤では所持しているものの、プレーヤーが壊れて聞けないと言う
悲しい状況なのですが、それでもやっぱり今でも聞き返したいアルバムが
幾つかあります。
先日、たまたまAmazonで検索していたところ、
「こりゃ絶対CD再販は無いだろう」と思い込んでいたアルバム3枚を発見!
いずれも絶版なのでプレミア価格でしたが、これを逃したら二度と再び
巡り会えそうにないものばかりで、気づいたら3枚ともポチってました。
いずれも私が音楽制作を始める前〜制作初期の頃に非常に影響を受けた
アルバムです。
まずはその1
「RADIATION MISSA」/三枝成彰+DKW57349
1981年 作品。
1986年 CDにて再販。(現在は絶版)
作曲/三枝成章(現:成彰)
演奏メンバー:
キーボード 難波弘之(センスオブワンダー)
向谷実(カシオペア)倉田信雄(スタジオプレーヤー)
中村さとし(アレンジャー)
ドラムス 岡井大二(スタジオプレーヤー)
ボコーダー 森本恭正
三枝成彰が三枝成章名義時代に発表した斬新な切り口の「ミサ」組曲。当時第一線でハイテクニックなプレーヤーがこの曲のためだけに「DWK-57349」というユニットを組み、この難曲に挑んだ。さらにレコーディングと同内容でのライブも行われている。あえてポピュラーミュージックのプレーヤーに現代音楽を演奏させる事により、変則拍子や調性の希薄な難解な曲を力強いビートの上に、ボコーダーによる早口のラテン語が加わるという、これまでに無い斬新で挑戦的なアルバム。初期の三枝成彰氏の作曲・創造へのあくなき前衛性と現代音楽の閉塞感のジレンマが生み出した異形の音楽と言えるだろう。モノラルシンセサイザーとボコーダー、ドラムスだけというほぼ無謀とも言える構成を名うてのミュージシャンが見事にこなすチャレンジ精神には頭が下がります。
現在はオペラ作曲やクラシック音楽会のプロデュースなどスマートで叙情的な仕事ぶりからはうかがえない、正に「裏・三枝成彰」とも言える貴重なアルバム。
******
当時氏は現代音楽の「既成概念を打ち壊す」と言うスタンスと、より叙情的で調性の整った音楽との狭間で揺れ動いていた時代でした。そのジレンマの結果が、この様な異形のMISSA曲を生み出したと言えます。これまでのMISSA曲のイメージを全く変える為、わざわざロックミュージシャンを選んだと言うところにも、三枝氏の反骨精神がうかがわれます。
また当時トッププレーヤーの難波弘之と向谷実を同時に迎えるという、今からすればかなり豪華なユニットが作り出すサウンドは、三枝氏の1章節ごとにビートの変わる変則ビートを見事にダイナミックに演奏しています。当時珍しいボコーダーでラテン語を早口でまくし立てるのも非常に新鮮です。当時この作品を現代音楽ではなく、単にロックテイストのアレンジに流された音楽と揶揄されて、三枝氏が大変立腹してライブ後の座談会の椅子を蹴って帰ってしまったと言う逸話にも、当時の三枝氏の「ツッパリ具合」が伺えて、私個人はとてもユニークな作品であると思っています。でも三枝氏には触られたく無い「若気の至り」な作品かも。
-- Send from iPad
2011年7月9日土曜日
2011年7月3日日曜日
鰯の頭も信心から または心のストレッチ体操
目に見えるものだけが世界の全てではない、
むしろ見えないものに守られてると考える方がうんと楽しい。
宗教や占いやスビリチュアルな話は流行っては廃れる。
もちろんそれらが悪いとは思わないし否定もしない。
私自身も風水や易を使う事がある。
でもそれで人生の全てを運命付けてしまえば、自分で自分の手足を縛ってしまう。
見えるから信じる、見えないから胡散臭い、と
決めつけるのでない。
そもそも見えないものは存在しないという考えを
肯定する根拠も否定する根拠もないのだから。
もっと心を柔軟にして、
自由で創造的な人生を送る一助となるなら
楽しいと思う事を取り入れた方が
きっと豊かでより良い日常が
送れるに違いない。
新たな人生の視点を得られた今日の出会いに感謝!!
福山ていしん先生は、
本当に不思議でチャーミングな方でした。
-- iPhoneから送信